内側を観る 〜タイ古式マッサージワークショップで感じたこと〜
最近全然更新していなかったのでちょっと気合いを入れて長文を書きました。
ゆっくり読んでくださいね。
27日28日に、sachiさんのタイ古式マッサージのワークショップに参加してきました。学ぶことがたくさんあったので、感じたことを消化するまでに少しかかってしまいました……。その中から特に感じたことが強かったお話を少しピックアップします。
sachiさんがワークショップを始めるにあたって一番はじめに言われた言葉。「私の言ったこと全部を信じなくてもいいからね」。この言葉に惹かれた。自分がいいと感じたことしか入ってこない。無理に全部飲み込もうとしても消化不良を起こすだけだ。ほんとうに必要なものは自分に必要なタイミングで感じるときが来る。だから自分がいいと思ったことだけを吸収しなさい、と。その自由さにそのゆとりに、“待つ”という愛を感じた。
話はそれるが、僕の住んでいるアパートの裏の家のお母さんがよく怒る。しょっちゅう怒っている。よく聞いてみると宿題しなさいとか鉛筆を短く持ってはいけないとかそんなに重要ではないことばかりだ。きっと子どもたちはあれをしなさい、これをしなさいという言葉でお腹いっぱいになっているはずだ。この子たちに「お母さんが言ったこと全部を信じなくてもいいからね」と言ってあげたい。鉛筆の持ち方なんて自由でいいじゃないか。本人が“ちょっと鉛筆の持ち方が変かも、変えてみよう”と感じるまで待ってあげてもいいんじゃないか。そう思う。
またまた話はそれるが、最近読んだ本で、「親からこれをしてはいけないと抑圧をされた子どもは、その行為をすれば罪悪感を感じ、その行為を避ければその不自由さに悩む」と書いてあった。ほんとうにその通りだと思う。人はこのようにしてトラウマやインナーチャイルドを創っていく。
だからsachiさんのはじめの言葉「私が言ったこと全部を信じなくてもいいからね」は、強制や抑圧から解放する魔法の呪文みたいだと感じた。
何かを学ぼうとするとき、この「感じたものだけを吸収する」というのは重要な基本だと思った。
もう一つ、心に留めたsachiさんの言葉。
「自分がつまっていなければ、悪い気が入ってきても流れていくので問題ない」
タイ古式では“気”が重要になってくる。マッサージをしていると悪い気を持っているクライアントさんもいるし、そうでなくても世の中には悪い気が存在していたりする。もし悪い気が周りに存在したとしても、自分にブロックがなければ、悪い気は身体にたまらず流れてゆく。だから瞑想をして自分をきれいにする。この話の面白いところは、周りの悪い気をどうにかしようとするのではなく、自分をきれいにするということ。外側を変えるのではなく、内側を観る。たいていの人は悪いことがあるとすぐその状況を変えようとする。そうではなく、変えるべきは自分。内側。これはすべてのことに当てはまると思う。
この話を聞いたとき、心に浮かんだ物語があった。それは最近呼んだブッダの話。誰かに侮辱されると怒りが生じる。けれど仏陀を侮辱したとしても慈悲しか出てこない。それはなぜか。それは仏陀の内側には怒りがないから。そういう話。要約する。
《 誰かに侮辱された。突然怒りが爆発する。あなたは興奮する。その怒りは侮辱した相手に向かって流れ出している。あなたは怒りのすべてを彼に投影している。彼はあなたに怒りが生じるのを手助けしただけだ。その怒りはあなたのものだ。もし彼がブッダのもとへ行って侮辱したとしても、ブッダのなかに怒りを創り出すことはできない。あるいはイエスのもとへ行ったとしても、きっとイエスはもう一方の頬を差し出すだろう。あるいは達磨の所へ行ったとしても、きっと吠えるがごとく笑うだろう。
相手は源泉ではない。源泉はいつも内側にある。相手はその源泉を撃つ。
内側に怒りがなかったら、怒りは出てこない。水のある井戸に桶を投げ込んだら、水が上がってくる。あなたを侮辱する人は、あなたのなかに桶を投げ込んでいるだけだ。その桶は、あなたのなかにあった怒りや憎しみや火でいっぱいになって上がってくる。あなたこそが源泉だ。もしブッダの中に桶を投げ込んでも慈悲しか上がってこない。》
sachiさんの話と、ブッダと井戸の話。この二つの物語はどちらも同じ1つのメタファーのように感じる。つまりどちらも同じことを言っているような気がする。自分を詰まらせないようにするということは、自分の井戸をからにすることであり、そうするためには瞑想が必要。これは大きな学びだった。
また近いうちに京都のヴィパサナ瞑想センターに行きたいと思っています。
タイ古式マッサージのワークショップは7月7日〜5日間、後半の部があります。
また感じたとこを書いていきますね。
長文失礼しました。
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コメント
本格的に 勉強“や 学びに京都までいくか
きっと
が かかっても いい 行いに
なるよ
そぅ やって ゆうきの やりたい事 一生懸命やれば
私事ですが こんな話をします
は
や
を開く事ばかりでないと 私の場合は自然に 人やあるいは
の人にならいました
ちょっとしたステップだったかな… [決して分量とかじゃなくて]
その子が やりやすい空間
にしたあげる事かな…
[ + × ÷]があります 例えば 幼少期にしたのが 具体的に果物で林檎半々が少なくなるとしったり 自分はイチゴが好き でも 同じ(数にして)お友達も 食べるから 当時は それが 私の中での
私の場合は 今も継続中なんですか 暖かい環境で暮らして行きたいし
[お菓子の作ってる]工場やそぅ言う 関係にいきたいですね
長くなりたい
の感想も]
[次は
投稿: kitty | 2009年7月 1日 (水) 15時13分
健康とは何か
健康とは流れやすさである_誰かの言葉
反応は 私の過去からのもの
応答は 今ここでの理解。 過去をさぐらない
ブッタは いつでも理解の人
理解とは純粋な聡明さ
ついでに・・・
愛は溢れだすもの
ハートが本当に望む「永遠」とは
限りない愛の放射状態
永遠のエクスタシー
「あなたがそこにいてくれること」 ではない
これについては
まだまだ瞑想が必要な私
瞑想しようね
投稿: f1 | 2009年7月 1日 (水) 17時02分
>kittyさん
コメントありがとう。
伝えようとする気持ちはわかるんだけど、
伝えることを1つか2つに絞ってみてください。
言いたいことはちゃんと伝わってるから大丈夫。
がんばってね。
>f1さん
誰かの言葉、いいですね。
何が流れるとかではなく、ただ“流れやすさ”という表現が素敵です。
論理的ではなく感覚的な言葉。
マインドではなくハートから来る言葉。
そんな感じを受けます。
お互いが、花の芳香のように溢れ出す愛の状態になれるように、離れても愛に満ちていられるように瞑想しましょう。
投稿: 管理人 [ゆうき] | 2009年7月 1日 (水) 20時59分
心で感じること、大切ですね。皆さん素直で読むことが楽しいです。
投稿: 瑠莉 | 2009年7月 3日 (金) 04時39分
瑠莉さん、コメントありがとう。
心で感じることは大切で、そして難しいことです。
本来はそんなに難しいものじゃないんだろうけれども、
現代の生活は心が閉じてしまうようなシステムがたくさんあって、感じるより考える方を優先せざるを得ない状況ですね。
自分に中心を定めて、心を開いてゆきたいものです。
投稿: 管理人 [ゆうき] | 2009年7月 3日 (金) 09時39分